“ラッパー”坂間兄弟が家康ゆかりの「平塚」を訪ね、自身のルーツとなる地名を発見!【後編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
■平塚八幡宮で出迎えてくれたのは……?

平塚八幡宮の一の鳥居。
D:平塚八幡宮は北条政子が源実朝を懐妊した時に、安産祈願で訪れた場所として有名だよね?
コーヘイ:『鎌倉殿の13人』を思い出すな。
—出迎えてくれたのは、宮司(ぐうじ)の宅野順彦さんと権禰宜(ごんねぎ)の金子和憲さん、それに……お馬さん?

平塚八幡宮の神馬・皐月(さつき)ちゃん。
D:いや、馬じゃなくてポニーじゃない? なんでポニーが??

平塚八幡宮宮司の宅野順彦さん(写真右)。
宮司の宅野順彦さん(以降「宅野さん」):今から950年ほど前、平塚八幡宮の神様のご分霊を飛騨高山にお持ちになって、櫻ヶ岡(さくらがおか)八幡神社を作ったんです。そこに居着いた方は平塚姓を名乗ったのですが、その末裔の方々と、いまでも交流があるんですね。そのうちの1人の方が、飛騨牛の牧場を営まれているのですが、令和元年の天皇陛下の御代替(みよがわり)の直後に、白い馬が生まれたということで、貰い受けました。名前は皐月(さつき)ちゃんです。
コーヘイ:すごく縁起のいい馬なんですね。
宅野さん:白い馬は晴れを祈願するときに、黒い馬は雨を祈願するときに奉納するといわれているのですが、実は北条政子様が実朝様の安産を祈願した際、白い馬を奉納されたという記録があるんです。
D:なんとも不思議で、宿命的なお話ですね。
―でも皐月ちゃんは我関せず。「ふーん」とばかりに、遠い目をしてD氏のコートの裾をモシャモシャと頬張っています。

皐月ちゃんを撮り始めるD氏。
コーヘイ:こちらの八幡宮は、いつぐらいに建てられたんですか?
宅野さん:創建は仁徳68年(380)です。
D:仁徳……!
宅野さん:当時、大地震があった際、仁徳天皇の勅願により応神(おうじん)天皇を祭神として創建されたのが始まりです。その後の、推古天皇の時代にも地震があり、推古天皇が「鎮地大神」の宸筆(しんひつ)を奉納したという記録も残っています。

平塚八幡宮の社殿。
コーヘイ:由緒が凄い。
宅野さん:古くは「鶴峯山八幡宮」(つるみねやまはちまんぐう)という名前でしたが、官の達示により「八幡神社」に改称し、昭和53年に「平塚八幡宮」と変わりました。社殿は武田信玄が北条氏康を攻めた際、北条の陣所となったことで1度消失したのですが、家康公が中原御殿を作った際(慶長元年・1596)、代官だった伊奈忠次(いなただつぐ)に命じて復元したということです。
D:あの鶴の紋は何か由来があるんですか?

D氏が気になったという鶴の紋。
宅野さん:これが実は分からなくて……。いつから使われているのか、由来は何なのかは分からないのです。ところで、もしお時間があればご祈祷を受けて見ませんか?